ガリア国、アバリクムとよばれていたこの湿地帯にケルト族の祖先であるビチュリゲス・キュビ族が住みつきました。 彼らは鉄器を使う技術にたけており徐々に力をつけていきました。しかし、地中海世界に覇権を広げるローマ人により、少しずつガリア国は征服されていきました。
ローマの覇権確立後、住民たちはローマの慣習に従うことをよぎなくされました。 そこで建てられたのが、町の入り口にはアーチ型の凱旋門や疲れをいやす公衆浴場、また人々が何よりも楽しむ見世物を開催する円形闘技場などです。四世紀には、ガロ・ローマ式の要塞が建てられ、町は約50本の塔で強化されました。
その後、五世紀には 、ローマ人に変わって、西ゴート族の支配下にあったこの町は、762年カロリング王朝のピピン王によって襲撃され、町すべてを焼かれた後占領されました。 そしてキリスト教に改宗されたあと、カロリング王朝歴代の王の保護をうけることになります。
1010年
フィリップ1世はユドー・アルパン子爵から領地を買占めたため、町はそれ以降王家に属することになりました。
12世紀には、町は徐々に力をつけ領土を広げていきます。 フィリップ・オギュストにより建てられた大塔は町をしっかりと防御していました。
1442年
王位の継承から排除されたシャルル7世はブールジュに逼塞しました。そこで 歴史家はシャルルの国をブールジュ王国と呼びます。 このシャルル7世の亡命は、ブールジュの町の商業や産業を復興させました。ブールジュ生まれの商人ジャック・クールはイギリスと戦うためにシャルル7世に貢献したことで知られています。
1467年
ルイ11世によりブールジュ大学が創立されました。